群馬県 富岡製糸場
明治5年(1872)に建てられた日本でも最大規模の産業施設。
現在は繰糸場、繭倉庫、外国人宿舎などがほぼ完全な形で残されている。
・ 日本の近代化・工業化の礎を築いた絹産業の原点といえる。
明治政府の殖産興業政策にもとづいて設立された官営模範工場。
日本の蚕糸業の発展に大きな影響を与え、民間へ払下げされた後も
製糸工場として機能し続けた。
・ 工場建設は明治4年(1871)から始まり、翌年の明治5年(1872)に主な
建物が完成。繰糸場は長さ140m、幅12m、高さ12mで、当時、
世界的にみても最大規模だった。
繰糸工場には300人取りの繰糸器が置かれ、全国から集まった工女たち
の手によって器械製糸が始まった。
・ 富岡製糸場には15~25歳の工女たちが集まり、中には士族の娘たちも。
工女たちは寄宿舎暮らしで1日3食の食事は無料。
読み書きやそろばん、裁縫などを学んでいた記録があり、働きながら勉強
も出来たのだそう。一等工女を目指して働いていた工女たちは1~2年勤め
あげると故郷に帰り、指導者として活躍した。
東繭倉庫 重要文化財
正門の前に建つ巨大な煉瓦造りの倉庫。
創業当初、繭は年1回しか生産できなかったため大量の繭を貯蔵できる
倉庫が必要だった。
骨組みの間に煉瓦を積み上げた木骨煉瓦造りで、1階は主に事務所・作業場、
2階は繭の貯蔵庫として使われた。
繰糸場 重要文化財
操業開始から115年間絶え間なく、繭から糸をとる作業が行われた工場。
長さ140m、幅12mで、当時は世界最大規模を誇った。中央に柱のない空間
を作り出すため小屋組に西洋から導入したトラス構造を採用。
300人の工女を必要とする300釜のフランス式繰糸機に始まり、時代とともに
最先端の器機を導入。操業停止時には日本の技術力によって作られた自動
繰糸器が10セット稼働していた。
首長館(ブリュナ館) 重要文化財
フランス人指導者ポール・ブリュナとその家族が明治8年(1875)12月まで暮らした建物。
木骨煉瓦造りの平屋建てで、創建当時の総面積は916㎡の贅を尽くした造りだった。
女工館 重要文化財
4人のフランス人女性教師の宿舎として建築。2階建てのコロニアル様式の建てもので、
大正12年(1923)以降に隣接して食堂が増築され、1階は食堂、2階は
会議室などとして使用された。
診療所
創業時の労働環境は先進的なもので、創業初期は工女のための医療費の全てを
工場側が負担するなど医療制度も整っていた。
民間に払い下げられた後も制度は残り、現在の建物は片倉期に建てられた三代目
の診療所。
寄宿舎
片倉期に建てられた工女の寄宿舎。
乾燥場
養蚕農家から運ばれた繭を乾燥させた原期から片倉期の建物。
2014年2月の大雪で半壊し現在(2017.4)復旧中。

富岡製糸場と絹産業遺産群(世界遺産、2014年登録)
(説明文はガイドブックから転載)

4秒間隔で画面(合計57ファイル)が自動的に切り替わります