奈良市 興福寺
奈良公園の玄関口に立つ大寺院。多数の国宝仏を拝観できるほか、建物の大半が
国宝・重要文化財に指定されている。平城遷都が行われた和同3年(710)に藤原不比等が創建。
藤原氏の氏寺だったが、聖武天皇や光明皇后(不比等の娘)らも堂塔を建立。
名門・藤原氏とともに大いに栄え、中世には大和国を支配するほどの力をもった。
一方、何度も火災に遭って伽藍を焼失したが、その度に奈良時代の様式で再建されてきたため、
天平の面影を留める。
なお、興福寺は廃仏毀釈により明治4年(1871)の上知令で境内は没収されて官有地となり、
明治13年(1880)に奈良公園として整備された。このため、現在の興福寺には寺域と俗界を
区別する塀などはなく事実上奈良公園の一部となった。
(堂内は撮影禁止のため、写真はありません)
五重塔 国宝
高さ約50m。国内に現存する古塔では、京都・東寺の五重塔(高さ:54.8m)に次いで高い。
奈良時代(710~704)に光明皇后が創建。以後、5回の焼失と再建を繰り返し、現在の建物は
室町時代(1336~1573)再建の6代目。
最近の寺院では、落雷による焼失を防止するため、相輪の先端に避雷針を設置し、
アース線を地上に垂らしている。
相輪(青銅製、高さ:約15m)の構造と名称

(HP・Culture/「何故五重塔は倒壊しなかったのか」から転載)
三重塔 国宝
塔は仏教の祖釈迦の舎利をおさめる墓標。塔を建てることは仏法の護持であり、大きな光徳とされる。
崇徳天皇の中宮皇嘉門院聖子が康治2年(1143)に創建したが、治承4年(1180)に被災し、
まもなく再建。高さ・約19m。
東金堂 国宝
興福寺には本来3つの金堂があり、その一つが東金堂。
聖武天皇が建立したことに始まり、現在の堂は室町時代再建の6代目。
堂内には本尊の薬師如来坐像(重要文化財)のほか、十二神将立像(国宝)、四天王立像(国宝)
など、18体もの国宝仏を安置する。
中金堂(現在工事中)
中金堂は興福寺の中心となるお堂。江戸時代中期に焼失後、本格的な復興はなされなかったが、
現在、境内の真ん中に再建工事進行中。正面36.6mにもなるこの壮大なお堂は
、2018年に落慶する予定。
南円堂 重要文化財
江戸時代再建の、日本最大の木造八角円堂。西国三十三所観音霊場の第9番札所であり、
巡礼者がひっきりなしに参拝。信仰の場としての気配が濃い。
本尊不空羂索観音坐像、四天王立像はいずれも国宝で、毎年10月17日のみ開帳される。
北円堂 国宝
現在のお堂は鎌倉初期の再建だが、奈良時代の様式を随所に残す優美な佇まい。
日本で最も美しい八角ともいえる。堂内には、名仏師・運慶の晩年の作である無著・世親
菩薩立像(国宝)などを安置。春と秋に特別公開される。
花之松の碑
興福寺東金堂前の松「花之松」は弘法大師お手植えと伝えられ、その姿が雄大で名木
だったが、昭和12年に枯れてしまった。
これを惜しんで全国から有志の援助を受け、後継の「花之松」が昭和15年に植栽された。
その松も残念ながら平成20年に枯れてしまったとのこと。
現在は「花之松ノ碑」だけが残っている。
藤原不比等(659~720年)
大化改新の功労者・藤原鎌足の次男。7世紀末~8世紀前半の大政治家で、娘の宮子を
文武天皇に、光明子を聖武天皇に嫁がせ、藤原氏繁栄の基礎を固めた。また、自らが
主導したといわれる平城京遷都を実現すると、都を見下ろす景勝地に氏寺の興福寺を建てた。
(説明文はガイドブックほかから転載)
古都奈良の文化財(世界文化遺産・1998年登録)
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