奈良県生駒郡斑鳩町 法隆寺
--世界最古の木造建築が並ぶ聖徳太子のお寺--
聖徳太子と推古天皇が7世紀初めに創建。
天智天皇9年(670)の火災で伽藍を焼失したが、ほどなく再建。
その後、大きな災厄に遭わなかったため、飛鳥文化を伝える仏像や堂塔をはじめ、
各時代の仏教美術の傑作が残る。
広い境内は西院伽藍と東院伽藍に分かれ、西院の金堂・五重塔など世界最古の木造
建築として知られる。
1993年、日本で初めて、「法隆寺地域の仏教建築物」と「姫路城」が世界文化遺産に
登録された。
南大門 国宝
法隆寺全体の門にあたる総門。
創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建された。
入母屋造り 八脚門屋根の作り本瓦葺 大きさ:横幅約17.5m
西院伽藍
中門 国宝
西院伽藍の入り口に位置する門。和銅4年(711)以前に完成したと推定される。
(平成27年より解体修理工事中、工期は約3年)
五重塔
 国宝
680年頃に建立。世界最古の木造建築であり、日本最古の五重塔。
総高は約34mで、安定感のあるスラッとしたたたずまい。
金堂 国宝
西院伽藍の中心で、五重塔と並ぶ世界最古の木造建築。
堂内には本尊の釈迦三尊像(国宝)、薬師如来座像(国宝)、日本最古の四天王立像(国宝)
などを安置する。
大講堂 国宝
このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立された。
推古15年(607)に創建され(推定)、延長3年(925)に落雷によって焼失し、
正歴元年(990)に再建された。
回廊 国宝
飛鳥時代(574~708)に創建。中門の左右から五重塔と金堂を囲むように建てられた長い回廊。
鐘楼
 国宝
 大講堂とともに落雷によって焼失し、現在の鐘楼は経蔵の様式にならって、
平安時代(794~1185)の中頃に再建されたもの。中に吊るされている梵鐘は、
奈良時代(710~784))前期の銅鐘(重文)で、 今も当時の音色を響かせているという。
聖霊院 国宝
金堂と五重塔を囲む回廊の東隣にある聖霊院は、聖徳太子を祀った伽藍。
弘安7年(1284))に建て替えられたという神殿づくりの建物の中には、
黒漆で仕上げた大きな厨子が3つ造り付けてある。
そのうち真ん中の厨子におさめられているのが、聖徳太子像(国宝)。
綱封蔵 国宝
寺宝を保管するための蔵で、「双倉」といわれる奈良時代(710~784)の代表的な建物。
東大門 重要文化財
三棟造りという奈良時代の代表作の一つ。
東院伽藍
四脚門 重要文化財
鎌倉前期(1185~1274)の建立で、法隆寺の代表的建物の一つ、切妻造り、本瓦葺。
鐘楼 国宝
鎌倉時代(1185~1333)に再建された「袴腰」と呼ばれる建築様式で、この様式の鐘楼
としては最古。梵鐘は奈良時代に鋳造されたもの。東院伽藍の法要の時などにつかれる。
絵殿・舎利殿 重要文化財
鎌倉前期 承久元年(1219)に創建。
絵殿には、聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵がある。舎利殿には、聖徳太子が2歳の時
に東に向って合掌され、その掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置している。
夢殿 国宝
東院伽藍の中心である優美な八角円堂。
聖徳太子が住んでいた宮殿跡に、天平11年(739)、行信僧都という高僧が太子の遺徳を
偲んで建てた。堂内には本尊の救世観音立像(国宝)、行信僧都像(国宝)などを祀る。

聖徳太子(574~622年)
用明天皇の皇子。叔母の推古天皇を助けて国政を担い、十七条憲法を策定、遣隋使を派遣
して大陸文化の導入に努めた。また、仏教興隆に尽力し、法隆寺や四天王寺などを建立。
死後は”観音の化身”といわれて信仰の対象となり、10人の話を一度に聞き分けたなど
の伝説が生まれた。
飛鳥文化
飛鳥時代(7世紀前半)に起こった日本最初の仏教文化。
朝鮮半島を通じて伝えられた中国の南北朝時代の文化が強く影響しており、間接的には、
ギリシャや西アジアなどの文化の影響もうかがえる。
建築では法隆寺の西伽藍、仏像では法隆寺や中宮寺などの諸仏が代表作。
(説明文はガイドブックほかから転載)

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