奈良市 法相宗大本山 薬師寺(撮影:2016)
白鳳伽藍
7世紀後半、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気の回復を祈り、建立を
発願したのが始まり。
飛鳥の地に創建され、平城遷都にともない、現在の位置に移った。
のちの火災などで、東塔を除く創建時の建物を失ったが、昭和~平成にお写経勧進
によって中心伽藍を往年の白鳳様式で復興。
そのため奈良のほかの大寺と異なり、堂塔の多くは色鮮やか。
天武天皇(?~686)
壬申の乱で甥の大友皇子を破り、672年に皇位に就いた。以後、天皇を中心とする
国づくりを進めるなど、政治改革を推進。道半ばで崩御すると、皇后から即位した
持統天皇が遺志を継いだ。
お写経勧進
薬師寺では、昭和40年代に当時の管主の高田好胤師が提唱し、お写経の納経料
を伽藍復興資金とするお写経勧進が行われてきた。この運動は今も続けられている。
南門(国定重要文化財)
永正9年(1512)築。切妻造、本瓦葺の四脚門。
中門
 中門は昭和59年(1984)に西塔に引き続き復興。
二天王像
享禄元年(1582)の兵火により中門とともに焼失。
その後約400年復興をみることがなかったが、昭和59年(1984)お写経勧進により
中門が復興され、それに伴う発掘調査により裸形の仁王像ではなく武装した
二天王像ということが判明した。
二天王像の形式は、中国西安大雁塔の門垣にある線彫の仁王像や、
法隆寺の橘夫人厨子の扉絵等を参考。
西塔
西塔は享禄元年(1528)に兵火で焼失。
国宝の東塔と向かい合う色鮮やかな塔で、昭和56年(1981)に453年ぶりに
復興された。
塔は、各層に裳階(もこし)を付けているため、六重塔に見えるが三重塔。
本瓦葺き、高さ33.9m。東塔より30cm高いが木の縮みを考えて高くしてあり、
200年後には同じ高さになるという。
東棟(国宝)
 東塔は、天平2年(730)の建立で薬師寺創建時の唯一残る白鳳時代の建造物。
平成23年(2011)8月から解体修理が行われており、完成は平成31年(2019)春の予定。
金堂
昭和に始められた伽藍復興のトップを切って、昭和51年(1976)に完成した。
龍宮造といわれる壮麗な建物で、地上22mの屋根の両端には高さ1.3m
の金色の鴟尾が誇らしく輝いている。
日本の金銅仏中第1の優品とされる薬師三尊像を祀っている。

大講堂
大講堂は横41m,奥行き20m,高さ17mの薬師寺最大の建物。
一連の復興は、昭和42年(1967)、故高田好胤管主により発願され、順次完成し、
平成15年(2003)、大講堂の完成により完了した。
玄奘三蔵院伽藍
薬師寺の宗派である法相宗の祖で、「西游記」のモデルの玄奘三蔵の遺徳
を偲ぶため、平成3年(1991)に造営された。
中心のには
薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より
昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立した。
玄奘三蔵
玄奘三蔵(602~664)は中国・隋の時代に生まれ、唐の時代に盛名を馳せた仏法僧。
いまでは、三蔵法師といえば玄奘三蔵のことを指すようになっているが、もともとは
釈迦の教えの「経」、仏教者の守るべき戒律の「律」、経と律を研究した「論」の三つを
究めた僧を三蔵という。したがって大勢の三蔵法師がいたが、なかでも玄奘はきわめて
優れていたので、三蔵法師といえば玄奘のこととなった。
玄奘塔
玄奘塔には玄奘三蔵の舎利(遺骨)と像を祀り、背後の大唐西域壁画殿には、
平山郁夫画伯がシルクロードを描いた大作・玄奘三蔵の旅をたどる「大唐西域壁画」
を安置している。
(説明文はガイドブックから転載)
古都奈良の文化財(世界文化遺産・1998年登録)
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