京都市 祇園新橋伝統的建造物群保存地区
祇園の新橋通りを中心とした東西約160メートル、南北約100メートルの範囲が保存地区。
祇園新橋の茶屋建築は、そのほとんどが桟瓦葺の平入り切妻造になっている。
一階にベンガラの千本格子をはめ、二階は座敷となり正面に縁を張り出して「すだれ」を掛け、
茶屋町として、伝統的なたたずまいを見せている。
茶屋町としての姿を今に留めるものとして極めて貴重な存在である。
この地区は、1976年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
歴史
寛文10年(1670)に行われた鴨川の堤防築造により、正徳2年(1712),祇園内六町の
茶屋街として,開発されたのがはじまり。
鴨川東岸の大和大路沿いに祇園社の参拝客や芝居客相手の茶屋町が作られるようになった。
享保17年(1732)になると、幕府より正式な茶屋営業の許可が下り、「祇園内六町」が開発された。
江戸末期には500軒もの茶屋が祇園にひしめいていたといわれる。
幕末の元治2年(1865)に大火が起きており、故に現在見られる祇園新橋の町並みはその後の
江戸末期から明治時代にかけて再建されたもの。
白川南通
四条通の北・白川沿いに約200mにわたって続く石畳の道で、稽古場所やお茶屋に向かう
舞妓さん、芸奴さんが行き交う通りでもある。緑色の柳や朱塗りの玉垣に京都らしい風情があり、
映画やポスターにもたびたび登場する。
新橋通
白川南通の1本北側にある通りで、あまり旅行者がいないため落ち着いた雰囲気。
駒寄せや2階の「すだれ」など、京町家らしい外観のお茶屋、舞妓さんを抱える置屋が
ズラリと並んでいる。
辰巳大明神

京都御所の辰巳(南東)の方角に祀られていることが名前の由来。
巽橋の北側に立つ祠で、祭神はかつて巽に住んでいたタヌキと伝わる。
芸事の上達にご利益があるといわれ、舞妓さん・芸奴さんもよくお参りする。
巽橋
白川南通と四条通方面を結ぶ橋。
(説明文はガイドブックほかから転載)
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