京都市 西本願寺

西本願寺
浄土真宗本願寺派の総本山。
親鸞聖人の遺骨を納めるため、末娘の覚信尼が文永9年(1272)、東山の現在の
知恩院付近に創建した廟堂がはじまりとされる。
その後、第3代覚如上人のときに本願寺と公称し、第8代蓮如上人の尽力により
大教団に発展。
しかし勢力の増大に伴い他宗派からの反発を買い、2度も破壊され、各地を
転々とし、天正19年(1591)に豊臣秀吉に寺地を寄進され、寛永10年(1633)
に現在地の七条堀川に移った。

慶長7年(1602)には徳川家康より寄進を受けた教如上人が東本願寺を建立
したため、本願寺は東西に分かれ、当寺は西本願寺と呼ばれるようになった。

御影堂門 重文
西本願寺の正門。
親鸞聖人600回大遠忌を前に、安政6年(1859)年に大阪の講社が担当し修理。
昭和35年(1960)、親鸞聖人700回大遠忌を前に修理された。
目隠塀 重文
切妻造、本瓦葺、真壁造の塀。江戸後期の建築といわれる。
御影堂
 国宝
寛永13年(1636)再建。東西48m、南北62m、高さ29m。中央に親鸞聖人の
木像、左右に本願寺歴代門主の御影を安置し、重要な行事は、この御堂で
行われる。
御影堂の前の大銀杏 天然記念物
水吹き銀杏と呼ばれている。天明の大火(1788年)の時、水を吹き出し、御影堂の
火災を防いだという伝説がある。
阿弥陀堂 国宝
宝暦10年(1760)再建。東西42m、南北45m、高さ25m。中央に本尊阿弥陀如来
の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の阻師七師と聖徳太子の影像が安置されている。
阿弥陀堂門 重文
江戸時代・天明8年(1788)の頃、大阪別院より移設したといわれている。
手水舎 重文
宝暦8年(1758)建立。入母屋造、本瓦葺、石水盤および井戸付。
経蔵 重文
経蔵に納められている「大経蔵」は天海僧正の開版されたもので寛永12年(1635)、
江戸の寛永寺発起し、12カ月かけて完成。
台所門(大中居の門)
本願寺中央幼稚園の門として使われている。なお、幼稚園の建物は旧社務所。
大玄関門

明治7年(1874)に建てられた。両脇に門番屋が付く。10万石の大名家格式に準じる。
唐門 国宝
桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き・唐破風の四脚門で、伏見城の遺構とも
伝わる。彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れることから「日暮らし門」とも呼ばれている。
築地塀 重文
切妻造、本瓦葺の版築の塀で5本の定規筋が引かれている。江戸中期~後期の建築
といわれている。
御成門 重文
切妻造、本瓦葺の高麗門。江戸後期の建築といわれている。
太鼓楼 重文
本願寺の東北角にある重層の楼閣で、内部に今も残る大きな太鼓は、江戸時代には
周囲に時刻を告げる合図となっていた。
幕末維新の時には、新選組の屯所としていたといわれている。
(説明文はガイドブックほかから抜粋・転載)

古都京都の文化財(世界文化遺産・1994年登録)

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