京都市 二条城(別名:元離宮二条城)
(豪華な桃山文化を受け継ぐ江戸幕府を象徴する城)
慶長8年(1603)に徳川家康が京都の宿所として建城。15代将軍慶喜が
大政奉還を宣言するまで、実に300年もの間江戸幕府を見守った。
当初家康によって建てられたのは、現在の二の丸に相当する規模。
3代将軍家光の頃に城郭を拡大し、本丸と内堀が新たに増築された。
唐門(重要文化財)
二の丸御殿の正面で、寛永2年(1625)に後水尾天皇の行幸を迎える工事
の一環で建てられた。切妻造り、檜皮葦の四脚門で、虹梁や貫上には牡丹唐
獅子など豪華な彫刻が見られる。
二の丸御殿(国宝)
江戸時代における武家書院の代表的建築。東南から西北へ、遠侍・式台・
大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院の6棟が雁行形に配置されている。
建物面積は3300㎡、総部屋数は33、敷かれている畳は800畳と壮大
な規模を誇る。内部は、幕府の御用絵師を務めた狩野派一門による豪華な
障壁画で飾られている。(建物内部は写真撮影禁止)
二の丸庭園
二の丸御殿の南西に位置する書院造り庭園。築城に合わせて造られたが、
後水尾天皇の行幸の際に作庭家・小堀遠州によって改修されたと伝わる。
本丸御殿(重要文化財)
現在の本丸御殿は、京都御所にあった旧桂宮邸の御殿を移設したもの。
本丸櫓門(重要文化財)
本丸櫓門は築城当初の本丸内の建物のうち、天明の大火で唯一焼け残った
遺構です。
北大手門(重要文化財)
入母屋造、本瓦葺きの櫓門で、慶長7年(1602)から慶長8年(1603)に造られ、
寛永3年(1626)に改修された。
東南隅櫓(重要文化財)
寛永期に建てられた隅櫓が本来四隅にあった、天明8年の大火の際に
2つが焼失し、今はこの東南隅櫓と西南隅廊が残っているだけ。
築地塀(重要文化財)
二の丸御殿を囲う築地塀(筋塀)は最も格式の高い5本の定規筋が入っています。
(築地塀は定規筋と呼ばれる白い水平線を入れた土塀。御所や門跡寺院などに用い、
格式により数を増し、5本を最高とする。)
(説明文はガイドブックから転載させていただきました)
古都京都の文化財(世界文化遺産・1994年に登録)
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