京都市 将軍塚青龍殿
(京都市山科区厨子奥花島町)
八世紀に桓武天皇は、都を奈良から長岡に移されましたが、災いが続きました。
この時、和気清麻呂は、天皇を東山山頂に狩りに事寄せてお誘いし、京都盆地を
見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言いたしました。
天皇は、その勧めに従って794年、平安建都に着手されました。また、天皇は
都の鎮護のために、塚を築造し、高さ2.5mの将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ、
塚に埋めるように命じられました。この「将軍塚」は、国家の大事があると鳴動した
という伝説が「源平盛衰記」や「太平記」に残されております。
青龍殿の落慶
平成26年10月、四神の一つ青龍が護る東山山頂に新たなお堂「青龍殿」が落慶。
この建物は、大正3年に大正天皇の即位を記念して京都市内の北野天満宮前に
建立された大木造建築「大日本武徳会京都支部道場」を元に移築再建したものです。
青蓮院門跡
皇族や摂関家が主門を務めてきた門跡寺院で、御所が火災に遭った際、
仮御所となった歴史があることから、「粟田御所」とも呼ばれる。
(パンフレットから転載)

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