クロアチア共和国 スプリット(スプリト)
ダルマチア地方の中央に位置し、人口約19万人で、クロアチアの中ではアドリア海
沿岸最大の都市。
温暖なアドリア海の魅力と豊かな歴史を持っている街で、古代ローマの宮殿に大勢
の人々が今も暮らす異色の世界遺産都市。
魚市場
旧市街の西側にある活気ある市場。露天のテーブルの上にはアドリア海の新鮮な
魚介類が並ぶ。市場は1843年に宮殿内からこの場所に移された。
旧市街
スプリットの旧市街は、1,700年前にローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿そのもの
が旧市街になったという珍しい背景を持った街。
建造物は、一度宮殿が破壊されて廃墟になった後、8世紀ごろに住み着いた人たち
が、宮殿の石材を使って宮殿跡の上に街を再建したもの。
中世につくられた建物が、まだ現役で、城壁内も含めて3000人ほどが「歴史的建造
物」を利用している。
ナロドニ広場
城壁の西側、旧市街の中心にある大きな広場。
ヴェネツィア支配時代には市庁舎が置かれた場所で政治の中心として機能していた。
ゴシック様式の旧市庁舎
ナロドニ広場の北側に立つ旧市庁舎はゴシックの代表建築。
一階部分の大きな3連アーチはほぼ建築当時の姿をとどめている。2階より上部は19
世紀前半に大幅に改築されている。
ペリスティル
宮殿の中心に位置する中庭。東西に12本のコリントス様式の列柱が連なり、西側には
カフェが、東側には大聖堂・鐘楼への階段がある。
ディオクレディアヌス宮殿
ローマ皇帝ィオクレディアヌスが、305年から没するまでの6年間過ごした宮殿。
ディオクレディアヌス帝
ローマ時代、ダルマチア州都として栄えたサロナ郊外に開放奴隷として生まれる。
ローマ軍の中で頭角を現し284年にローマ皇帝に。帝国を4つに分割して自らは現在
のトルコからエジプト一帯を統治した。303年、キリスト教弾圧の勅令を交付し、教徒
たちを迫害。各地で多くの殉教者をだした。
自らの意思で退位した最初の皇帝でもあり、305年の引退以降はスプリットの宮殿で
穏やかに余生を過ごした。
宮殿の地下
 かつては倉庫などに使われ、皇帝の居住スペースや使用人の住居は上層だったが、
建物の構造自体は地下も上層も変わらなかったとみられ、地下層の発見で宮殿全体
の構造が推測できたといわれる。
311年に皇帝が亡くなった後、7世紀にキリスト教徒に宮殿が破壊され、そのときに
瓦礫を地下のスペースに落とした。
1950年頃から宮殿地下の発掘が始まり、瓦礫を取り除いたところ、当時のままの
宮殿跡が出てきた。今もなお宮殿地下室の発掘が続けられているとのこと。
鐘楼
大聖堂にある鐘楼は、13世紀ごろに建てられ、高さは60メートル。
グルグール像
宮殿の北側に立つ巨大な像。グルグール司教は10世紀にクロアチアのラテン語化
に抵抗し、スラブ語の保護に貢献した人物。クロアチアの英雄のひとりで、像の左足
の親指に触ると幸運が訪れるといわれる。
(説明文はガイドブックほかから抜粋・編集)
ディオクレティアヌス宮殿があるスプリットの歴史的建造物群(世界文化遺産・1979年登録)
3秒間隔で画面(合計55ファイル)が自動的に切り替わります