ギリシア共和国 デルフィ デルフィ遺跡
デルフィ
コリンティアコス湾を望むパルナソス山の中腹に、東西に広がる小さな町。
アテネから西北へ122kmの距離にある。
デルフィ遺跡
古代ギリシアにおいて、「大地のヘソ」として世界の中心と考えられていたデルフィ。
起源は紀元前2000年ごろで、当時は大地の女神ガイアが大蛇ピュトンに守られた
洞窟で神託を行っていたとされる。
ミケーネ時代の終わりごろ、ゼウスの息子アポロンがピュトンを矢で殺して神殿を建て、
巫女ピュティアの身体を借りて神託を授けるようになった。
その後デルフィは、神託を受けに訪れるギリシア内外からの巡礼者の絶えない地となり
、紀元前6世紀には個人や都市国家からの捧げもので得た富によって全盛期を迎える。
栄華を誇ったデルフィも紀元前5世紀になると神託の効力は薄れ始め、徐々に衰退していく。
381年にビザンチン帝国のテオドシウス帝が発布した異教禁止令によりデルフィの建造物
はことごとく破壊され、1892年に本格的な発掘が始まるまで遺跡は地中に埋もれたままで
あった。
アポロン神殿
紀元前6世紀建造の最初の神殿は火事で消失、再建されたものは紀元前373年の地震で
倒壊。現在残るのは紀元前370年ごろに再建されたもの。幅23m、長さ60mのドリス式
建築で正面に6本、側面に16本の柱をもっていた。
円形劇場
紀元前4世紀ごろの建築で5000人を収容する客席をもつ。現在残っているのは紀元前2世紀に
再建されたもの。
プラタイアの奉納台
紀元前479年の対ペルシアのプラタイアの戦いにおける勝利を記念してギリシアが建造した。
円形の台座のみ残る。
アテネの柱廊
ペルシア戦争後、アテネが勝利品を納めるために建造。3本のドリス式の柱が残る。
大祭壇
ぺルシアから開放されたヒオス島の住人が建てた、高さ3mの白黒の大理石の祭壇。
アテネ人の宝庫
マラトンの戦いにおけるアテネ勝利を記念して建造。正面にはアテネとマラゾンの戦いを描いた
レリーフがある。
アテナの聖域
ギリシアで最古の神殿の一つとされる旧神殿は紀元前7世紀ごろ、新神殿は紀元前4世紀
の建造。円形神殿は20本の柱をもつドリス式の美しい建物であったが、現在は復元された
3本の柱が残るのみ。
デルフィ博物館
デルフィの遺跡から出土品を中心に展示している。館内は11室に分かれ、アルカイック期
からローマ時代までの美術の推移を見ることができる。
青銅の御者の像
紀元前478年にシチリア島の僭主ポリザロスが奉納したもので厳格様式の代表作。
アルゴスの英雄達
アルゴス人が奉納した墓碑像で、アルカイック期を代表する彫刻として名高い。
ヘソの石
発掘された実物のへその石
スフィンクス像
ナクソスの柱の上に乗っていたスフィンクス像
アギオス像
運動選手の理想的な彫像で、紀元前4世紀頃のもの。

(ガイドブックより抜粋・転載)

ギリシア・デルフィの考古遺跡(世界文化遺産・1987年登録)

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