ギリシア共和国 コリントス遺跡・運河
コリントス
ペロポスネソス半島とアッテイカ半島とを隔てるコリントス運河の近くにあり、ぺロポスネソス
半島の玄関口。古くから交通の要所として商業が発展し紀元前7世紀に隆盛をきわめる。
紀元前3世紀にはコリントス同盟の中心国家として君臨していた。
コリントス遺跡
コリントスは古代のポリス国家の時代からマケドニア支配の時代に多大なる発展を見せたが
紀元前2世紀に衰退した。その後100年ほど放置されていたが、紀元前44年、カエサルが
新たな町を再建し、再び歴史の表舞台に登場する。
町は1858年の地震で崩壊したが、1896年に米国考古学会によって発掘された。
現在残るのは大部分がローマ時代のもの。
アポロン神殿
紀元前6世紀ごろの建立。38本のドーリア式の列柱をもっていたが、現在は7本が残る。
ギリシアに残っている神殿のなかでも最も古い神殿の一つとされる。
柱は一つの石の固まりから造られており、高さは約7m、直径は、一番下の太いところで
1.8m。(パルテノン神殿:紀元前5世紀、柱は白大理石で10~11個の積み重ね、高さ
約10m、直径は一番下の太いところで約2m)
グラウケの泉
岩を削った4つの貯水槽からなる伝説の泉。
柱廊
アゴラ内にある商店群。南柱廊は33の商店などが並んだ柱廊で紀元前4世紀ごろの
建造とされ、古代ギリシアの建造物のなかで最も大きいといわれる。
中央アゴラ
古代ギリシアのなかで最も大きな公共広場の一つ。競技場や集会所などさまざまな
用途に使用されていた。
アクロコリントス
標高約574mの丘の上、古代コリントスのアクロポリスがあったところで、後の
ビザンチン時代やヴェネツィア時代には城砦として利用された。
ピレーネの泉
アクロコリントスから流れてくる水を貯めるための貯水池。
教会堂の演壇
アゴラの南側に演壇(ベーマ)の跡があり、使徒パウロがこの演壇からキリスト教の布教
を行ったと伝えられている。使徒パウロがコリントスに滞在したのは、紀元後51年ごろ。
レカイオン通り
10世紀まで使用されていたといわれる大きな道路で、かつてはアゴラからコリンティアコス
湾まで続いていた。両側には大浴場や商店街が並んでいた。
コリントス運河
ペロポネソス半島の根元にあるエーゲ海とコリンティアコス湾とを結ぶ運河。1893年に
フランスの民間企業によって造られた。この運河は閘門を持たない水位が一定の運河で、
コリントス地峡の丘を一直線に掘られている。全長6343m、幅は水面部で25m、河底部
で21mと狭く、大型船は小さな船によって牽引されてくる。
地上に架けられた橋は水面から80mの地点にある。
(ガイドブックより抜粋・転載)
   
スライドショー・ギリシア コリントス遺跡・運河 デジカメ写真
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