スライドショー・ギリシャ パルテノン神殿 デジカメ写真

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ギリシア共和国 アテネ パルテノン神殿
アテネ
アテネは、ギリシア神話にでてくる知恵の女神アテナの名にちなんで付けられたもの。
偉大なアクロポリスの遺跡に代表される、世界で最も古い歴史を持つ町。
ギリシア共和国の首都で同国最大の都市。人口:約307万人(2012年)
パルテノン神殿
アテネの守護神アテナ女神を祀ったもので、紀元前447年に着工し、装飾にいたる
全てが完成したのは紀元前432年のこと。
6世紀にはパルテノン神殿はキリスト教に取り込まれ、生神女マリヤ聖堂となった。
オスマン帝国の占領後の1460年代初頭にはモスクへと変えられ、神殿内には
ミナレットが設けられた。
1687年9月26日、オスマン帝国によって火薬庫として使われていた神殿はヴェネツィア
共和国の攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けた。
1806年、オスマン帝国の了承を得たエルギン伯は、神殿から焼け残った彫刻類を取り
外して持ち去った。これらは1816年にロンドンの大英博物館に売却され、現在でも
エルギン・マーブルまたはパルテノン・マーブルの名で展示されている。
ギリシア政府はこれら彫刻の返却を求めているが、実現には至っていない。

白い大理石の神殿の大きさは、幅約31m、奥行き約70m、柱の高さ約10m。
前後に8本ずつ、側面に17本ずつ、計46本の柱に囲まれてる。。
屋根の最上部から地面までの高さと建物の幅の比率が1対1.68の黄金比になっ
ており、建物を美しく見せるための高度な技法が用いられている。
破風(屋根の下の三角部分)やメドープ(屋根や破風と柱の間の壁面)は神話や
古代の歴史を物語る彫刻で飾られていた。現在見られる破風や壁面の彫刻は全て
模作で、本物は大英博物館、アクロポリス博物館などに展示されている。
ギリシア文化・観光庁は、パルテノン神殿の部分的な破壊の修正や保全など、後世
に伝えるための再建計画を実行している。
(ガイドブックほかから抜粋・転載)
アテナイのアクロポリス・パルテノン神殿(文化遺産・1978年登録)
ユネスコ世界遺産のシンボルマークは、パルテノン神殿を図案化したもの。
この神殿に祀られているのは、アテナイ(アテネ)の守護神、アテナ・パルテノスであ
り、この女神が“智の神”であることから、ユネスコ憲章のなかで「人類の知的・精神
的連帯」をうたうユネスコマークの図案に採用された。(UNESCOのHPから転載)