スライドショー・オーストリア ザルツブルク デジカメ写真

オーストリア共和国 ザルツブルク市
ザルツブルク

オーストリアの北西部・ザルツブルク州の州都、標高425m、人口:約15万人。
ザルツブルクは塩の輸出で繁栄した街。ローマ帝国滅亡後は大司教が統治した。
塩の財力を背景に絶大な権力を持った歴代大司教たちにより、大聖堂や宮殿建築
がなされ、17世紀には現在の街並みがほぼ完成した。
ミラベル宮殿・庭園
ヴォルフ・ディートリヒ大司教が愛人サロメ・アルトのために造った宮殿。その後改修
されたが、火事により焼失。後に復元され、今の姿となった。現在は市庁舎として使
われている。
17世紀末にフィッシャー・フォン・エアラッハが設計した庭園は、花壇やギリシャ神話
をモチーフとした彫像が随所に置かれておいる。映画・「サウンド・オブ・ミュージック」
の中で、マリアと子供たちがこの庭で「ドレミの歌」を歌いながら遊んだシーンは有名。
ホーエンザルツブルク城
1077年にゲブハルト大司教が安全な隠れ家として建てた城塞。その後増改築を繰り
返し、15世紀末には武器庫や大砲置き場なども造られた。
現在の姿に完成したのは17世紀といわれる。
レジデンツ(大司教の館)
16世紀に時の大司教ヴォルフ・ディートリヒが「北のローマ」を目指してバチカンをモデル
に建てた館。豪華な造りは、王の宮殿に勝るとも劣らぬ見事さ。
「会議の間」では若き日のモーツアルトが指揮をしたこともある。
大聖堂
16世紀末に大司教ヴォルフ・ディートリヒが着手し、2代後のパリス・ロードローン大司教
まで引き継がれて完成した。モーツアルトはここで洗礼を受け、オルガン奏者も務め
ている。
ゲトライデ通り
旧市街中心部のゲトライデ通りには商店などの装飾的な鉄細工の看板がたくさん並ん
でおり、現在ではザルツブルク旧市街で最も繁華な小路となっている。
モーツアルト広場
広場中央にモーツアルトの銅像が建てられたのは1842年。この時の祝祭が現在の
ザルツブルク音楽祭の誕生につながっている。広場自体は17世紀に造られたもの。
モーツアルトの生家
1756年、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトはこの建物の4階で生まれ、17歳に
なる1773年までここで暮らす。現在は博物館として公開されている)
モーツアルトの家

モーツアルトの父レオポルトが亡くなる1787年まで一家はここで暮らし、モーツアルトは
1881年にウイーンに移るまで、ここでたくさんの名曲を作った。
(現在はモーツアルト関連の博物館)
(ガイドブックから抜粋・転載)
ザルツブルク市街の歴史地区(文化遺産・1996年登録)

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