スライドショー・クロアチア 車窓(プリトヴィッツェ〜ザグレブ) デジカメ写真

クロアチア共和国 車窓(プリトヴィッツェ〜ザグレブ)
クロアチア共和国 
面積:約56000ku(九州の約1.5倍)
人口:約450万人
首都:ザグレブ
宗教:ローマ・カトリックが88%、そのほかセルビア正教など
プリトヴィッツェ湖群国立公園
クロアチアの首都ザグレブの南約110kmの内陸部に位置する。
カルスト台地の渓谷に大小16の湖が連なり、92ヶ所の滝で結ばれている。
秋の紅葉の時季には、ブナやナラが黄色に、ウルシやカエデが赤に染める。
プリトヴィッツェ湖群国立公園(世界自然遺産・1979年登録)
ザグレブ

クロアチアの首都にして最大の都市。
中央ヨーロッパとアドリア海を結ぶ交通の要衝にあり、国政の主導的な地位を
占めている。
人口:約100万人
内戦
1944年、ソ連との共同戦線でユーゴスラヴィアの首都ベオグラード(現セルビア共和国
の首都)を開放したバルチザン(抵抗軍)のチトー将軍は、翌45年に「ユーゴスラヴィア
社会主義連邦共和国」(構成共和国:スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、
セルビア、モンテネグロ、マケドニア)を建国。初代大統領となった。
1980年にチトーが死去すると、連邦は再びセルビア集権体制になり、各共和国に不満
が蓄積することとなる。
クロアチアは、89年から始まった「東欧革命」の機運にのり、91年6月に独立を宣言。
国内に残るクロアチアの独立を望まないセルビア系住民を排除する動きに出ると
セルビアを中心とするユーゴスラヴィア連邦軍との紛争に突入した。
セルビア系の住民は連邦軍の支持を得て「ウクライナ・セルビア人共和国」の建国を宣言。
スラヴォニア地方(中部クロアチア)やダルマチア地方(南部クロアチア)では激しい戦闘
が繰り広げられ、ドブロヴニクといった沿岸部の美しい町も銃弾の雨にさらされた。95年
8月にクロアチアが展開した「嵐作戦」により、ウクライナ・セルビア人共和国は消滅。
この後結ばれたデイトン和平合意によってクロアチア独立戦争は終結した。
(ガイドブックより転載・一部加筆)

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