スライドショー・ボスニアヘルツェゴビナ モスタル デジカメ写真

BGM:シューベルト/ピアノ三重奏曲第2番

ヨーロッパ ボスニア・ヘルツェゴビナ モスタル市
ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国
バルカン半島に位置する旧ユーゴスラビアの国。北と南西はクロアチアに、東は
セルビア、モンテネグロに接する。
首都:サラエボ
面積:5万ku(日本の陸地面積:38万ku、北海道:8万ku、九州:4万ku)
人口:約400万人(福岡県:約500万人)
言語:ボスニア語、セルビア語、クロアチア語、
宗教:イスラム教セルビア正教、カトリック
20万人にも上る死者と200万人の難民を出したボスニア・ヘルツェゴビナ内戦が
「民族浄化」の名の下に1,991年に勃発、1995年末に終結。
アメリカの強力な調停により、紛争当事国首脳がパリで和平協定に正式調印し、
3年半に及ぶ内戦に終止符。
 モスタル市
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの南西約70kmの場所にある
モスタルの歴史は1482年に街がオスマン・トルコに占領されたことに始まる。
ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の歴史都市であり バルカン半島のほかの
都市同様にトルコの影響が強く見られ、 多くのモスクが点在。
モスタルの旧市街は、 中世ヨーロッパの都市の様子を示すと同時に、
こで暮らすクロアチア人、セルビア人、イスラム人などの文化が
交錯した街
 
スタリ・モスト
ボスニア・ヘルツェゴビナを代表するオスマン建築のひとつ。
水面高さ約20m、長さ29mの石橋。
街の中央を流れるネレトヴァ
に1566年、石造りのアーチ橋が建設された
この石橋はトルコ語で「古い橋」を意味するスタリ・モストと呼ばれ、 モスタル
の街の名の由来になった。

なおこの石橋のたもとには小さな砦のような塔が建っている。

これは「タラの塔」とよばれ、当時、火薬庫として使用されていた歴史的建造物。

1991年から始まったボスニア・ヘルツェゴビナ内戦のさなか、1993年11月に
橋は砲撃を受け崩落。ネレトヴァ川両岸の人々の往来も断絶。
内戦終結後1999年からユネスコの協力のもと修復が行われ、2004年に復元
翌年には世界遺産に登録され、平和と復興のシンボルとして復活。

モスタルは東ヨーロッパの旅行で最も訪ねて見たかった場所のひとつで、内戦の
傷跡と近代的なビル群など復興の状況を自分なりに確認できた。
ただ、ビルの焼け跡とか弾痕から、内戦の凄まじさが読み取れるが、民族、宗教、
政治の混乱からどの程度落ち着き、国の平和と人々の心の安らぎを取り戻したの
か良く分からない。
ガイドさんの話しでは、当時、日々の食料品を手に入れるにも、夜寝静まった頃
に、真っ暗の中、親戚の家へこっそりと移動していたとのこと。
昨日まで普通に暮らしていた隣近所の間でも、疑心暗鬼でいつ殺させるか恐怖の
毎日だったとか、ほんの20年前の出来事で、何とも悲しい歴史の舞台であろうか。
ビルの焼け跡とか凄まじい弾痕の写真を編集・公開しながら悲しさを覚える。
未来永劫に平和で明るい国になって欲しいものです。

モスタル旧市街の古い橋の地区(世界文化遺産・2005年登録)

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