スライドショー・ハノイ タンロン遺跡 デジカメ写真

ベトナム社会主義共和国 ハノイ市 タンロン遺跡
ハノイ市
ベトナム北部に位置する同国の首都。人口は約650万人。
7世紀、中国(唐)によるベトナム支配のための機関・安南都護府がおかれ
た町として栄えた。中国の支配から独立した11世紀に、リー・タイ・トー王が
現ハノイのバーディン地区にタンロンという城を築き、首都タンロンとしての
歴史が始まる。
タンロン遺跡
11〜19世紀に栄えていたベトナム王朝がここに都を置いたため、各時代
の王城の遺跡が重なっており、2003年に発掘が開始された。
城壁ほか一部の建造物以外、城本体は地上部にはそれらしきものは何も見
当たらず、基礎部分ほか発掘現場は屋根・仕切りまたは強化ガラスの床で覆
われている。貴重な遺跡の収蔵品は区域内の博物館にも展示されている。
現在も発掘・研究が鋭意進められているとのこと。
端門
タンロン城の第一城壁の正門。15世紀レー王朝時代に築かれ、宮殿までの
皇帝専用の門。
国旗塔
1812年に宮殿の監視塔として、フランスの植民地時代に建設された。
現在は国旗掲揚塔として利用されている。
敬天殿の龍の階段
皇城・「敬天殿」(フランス統治時代にはフランス軍司令部が置かれていた)
の前に設けられている「龍の階段」。
この{龍の階段」は、皇帝が科挙の合格者と面会をした「龍の広場」での皇帝
と一般市民との仕切りになっていた。
地上会議室
ベトナム戦争時、ベトナム共産党の中央軍事委員会は、坑米戦争の戦略の
重要な会議をここで開催。
地下会議室
ハノイ城でベトナム戦争時の北の地下秘密会議室。
ベトナム戦争中はタンロン城内に大本営が置かれていた。
戦争を知らない「明るく元気なベトナムの子供たち」
ベトナムの平均年齢は28歳(ちなみに日本は45歳)、1970年(昭和45年)
の日本と同じ。
ベトナム戦争が終わった年:1975年
戦争で生き残った人たちが子供を生んで人口爆発。
賄賂、若者の薬物・犯罪などの社会問題を抱えながらも、活気あふれる町と
明るく元気な子供たちを見ると、明るい未来が直ぐそこに開けているように思う。
案内してくださったガイドさん(54歳)の兄さんはベトナム戦争で亡なった由。

ハノイのタンロン皇城の中心区域(世界文化遺産・2010年登録)

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